12/25/2006

◆久々の書道教室

仕事が超忙しかったため、書道教室を3回も休んでしまったが、ようやく赤坂の教室に行くことができた。やっぱり「書道は楽しい!」ということを改めて実感いたしましたです。ハイ。

創玄展に応募する期限が目の前に迫っていることもあり、今回は赤坂の教室に二科サイズ(普通の掛け軸より、少し大きめのサイズ)の用紙を持ち込み、そこで書いてT先生に見てもらった。やっぱり、先生に見てもらうと、思いもかけないところに問題があり、ほんと、目からウロコでござった。

↓↓↓右上の最初の文字、自分では墨をたっぷり付けて書いたつもりだったが、まったく足りないんだとか。縦に筆を持つと滴り落ちるほど墨をたっぷりつけ、そう~~っと横にしながら書く位置まで筆を持っていく。そこでエイッ(?)と書き始めるとよいのだとか。そうだったのかあ。

11/19/2006

◆知自身とは?

今回のかな混じり書は、「知自身 私という一番の不思議」。「知自身」は仏教の言葉で、自分のことは自分が一番知っているという意味だとか。とはいえ、その自分が意外に分かっていなかったりする。ということで、相反する「私という一番の不思議」という言葉が添えられている。書体は隷書(れいしょ)。2000年近く前のものだが、この書体、ホント創作的だよね。

↓↓↓大きい漢字の文字より横の小さい文字に苦戦。O先生から単調にならないようにと何度もアドバイスされ、最後に出来上がったのがこちら。「ようやく左右の文字のバランスが取れたね」と合格点。ただし先生が朱を入れたところ、「田」の部分の曲がり角が丸くなっているのは、一文字だけならいいが、複数あると子供っぽくなるから注意した方がよいとのこと。確かに・・・。



↓↓↓そして恒例の月例競書に出す作品がこちら。T先生にお手本を書いてもらって何とかここまで書けたが、行書はやっぱり難しい。

10/22/2006

◆足下を見ろと? 見てますがな・・・

今回の青山教室での書のお題は「看脚下(かんきゃっか)」。禅の言葉で、遠大な計画もいいけど、まずは足下をちゃんと見ろという意味だとか。でも、実際仕事をしていると、毎日足下のことばかりで、近視眼的になっているような気がしてならない。ま、いいんですが。

↓↓↓この書の見所は「下」という字の伸びやかさ。「脚」は先生の朱文字のように、もっと扁平に書いて、デザイン的な面白さを出したかったところ。かなり思い切って扁平に書いたつもりだったが、それでもまだ足りない。


↓↓↓これは11月の月例競書に出す作品。ご存知、顔真卿(がんしんけい)が書いた行書の臨書だ。何と読むのかって? う~~~。

10/09/2006

◆知り合いの写真展に行ってきた

書道教室の帰りに、知り合いが写真展をやっているというので行ってきた。場所は、めったに行くことのない中目黒の目黒川沿いにあるギャラリーだ。噂には聞いていたが、その近辺にはつい入ってみたくなるようなおしゃれなお店がいっぱいあり、駅からギャラリーにたどり着くまでに1時間以上かかってしまった(普通に歩けば10分弱のところでした)。写真展鑑賞前のウォーミングアップとでも申しましょうか。ま、前菜みたいなもんですな。

行ってみると、期待以上だった。タイトルは「森敏明写真展・トヤマホテル」。レトロな建物や猥雑な路地裏のワンシーンを、森さんらしい温かい視線で切り取ったモノトーンの写真群が、洗練されたレイアウトでディスプレイされていて、美的に刺激的。ギャラリーの空間全体がひとつの作品になっていた。

↓↓↓この作品、写真とイラストに赤いハンコが押されていて、とてもおしゃれ。ハンコはどこかのみやげ物で、いずれ使いたいと思って取っておいたものだとか。そのハンコの赤が、今回の展覧会の肝(キモ)のような役目を果たしていた。


↓↓↓これは床にディスプレイされた作品。この上を無心にひょこひょこ歩いた子供がいたそうだが、結局、「足跡ひとつ付いていなかった」と残念そうであった。


↓↓↓記念に作者をパチリ。写真を撮るのは好きでも撮られるのは苦手なようで、どうしてもカメラの方を向いてくれない。ハニカミおじさんなのだった。

◆今回から「かな混じり書」

青山教室のレッスンは、今回から半年間は中国の漢字の古典を離れ、「かな混じり書」となった。お手本は、『石飛博光「書」の絵本・花のような気持ちでいよう』。これまでのレッスンと違って、ちょっと軽量級じゃない? というのが最初の印象だったが・・・。やってみるといや面白い。今回は老子の言葉「多則惑(たそくわく)」という漢字を中心に置き、その意訳文「知りすぎたって迷うだけ」という言葉をかな混じり書で加えた作品。漢字は紀元前から紀元後(秦時代から前漢時代)の中国で発達した隷書(れいしょ)という書体で書かれており、大らかで楽しい作品になっている。よく言われることだが、創作の基本はやはり古典なのだ。

↓↓↓隷書の文字は、横の線を右肩上がりにせず、水平に、真横に書くというのが特徴だ。書いてみると、最初のうちはどうしても右肩上がりになってしまうが、慣れてくると真横に書けるようになり、造形的にも味わいが出てくる。そこでI先生に見てもらうと、この字は面白いね、と「多」という字に二重丸をくれた。「則」はちょっと単調だから、横線を書くときのスピードに緩急をつけたらいいよ、というアドバイス。


↓↓↓そこで書いたのがこちら。I先生のところにもう一度持っていくと、じっと見てから「うん、いいね」と言い、近くにいた若いT先生に「ちょっと鉛筆ちょうだい」。「はて???」と思っていると、朱を入れずに左下に小さく、鉛筆で「A」と書いてくれた(写真では分かりませんが、ちゃんと入っています)。意味がいまひとつ分からず、狐につままれたまま席に戻ると、周りの人が手を叩きながら「すごい!」と言う。へえ、そうなんだ、と急にうれしくなってしまった。初の「A」作品、じっくりご覧あれ。

9/25/2006

◆3回目の月例競書

月例競書への出品も3回目となった(つまり3カ月目)。今回も顔真卿(がんしんけい)の行書に挑戦だ。赤坂教室のレッスン中に、出品用の作品を一気に仕上げてしまおうという魂胆である。とはいえ、行書には今回も苦戦。どういう線の運びになっているのかさえわからない。先生にお手本を書いてもらって初めて、「あ、ここはそうなってるんだ」とわかる始末。こんなんで、うまく書けるのかいな。

↓↓↓これは字の下の位置が問題。赤の矢印の部分、左右の字の下を揃えるように、とのご指摘だ。ふむ、ふむ。なるほどねえ。


↓↓↓とはいえ、もう時間がないので、書いたものの中から先生に選んでもらい、これを出品作にすることにした。因みに、最初の文字は誰も読めないと思うが、「ちぢム」という字。この行書、線の運び方も手ごわいが、読みも相当手ごわいのである。

9/17/2006

◆岡本太郎記念館に行ってきた

書道教室の後、ちょっと時間があったので、表参道にある岡本太郎記念館に行ってきた。岡本太郎といえば、あのギョロ目の強烈なキャラクターと「太陽の塔」が頭に浮かぶ程度だが、それだけではないだろうと、何となく頭の隅っこで気になっていたアーチストだったのだ。行ってみると、やはり只者ではなかった。そこには岡本太郎の最高傑作といわれる大壁画「明日の神話」の修復後の写真や、制作時の下絵が展示されていたが、その迫力に、まさに「なんだ、これは!」。「明日の神話」は原爆が炸裂する瞬間を描いたものだ。しかし決してこの世の終わりという暗さはなく、原爆を全身で受けてはじけ飛ぶ中央の白い骸骨や、地を這うような鮮烈な赤い炎は、深い怒りと同時に再生のための新たなエネルギーをも発散させていた。これは日本にとって、スペインにとってのゲルニカのようなものだと言ったら言い過ぎか。

ぜひ実物を見てみたいと思ったが、遅かった。日本テレビの汐留・ゼロスタ広場で実物が一般公開されていたが、8月末までだった。この壁画は、40年前、メキシコのとある実業家から、新しく建てるホテルのロビー壁画として依頼されたものだという。壁画は完成し、ロビーに仮設されたものの、建物の完成を待たずにホテル自体が倒産してしまった。以来、壁画は行方不明になっていた。それが2003年、メキシコシティー郊外の資材置き場で発見され、日本に移送され、修復作業が行われたというわけである。

この記念館では写真も自由に撮ってよかったのだが、その日はカメラどころか携帯も家に置き忘れるという体たらく(カメラがない分、自前の目でじっくり鑑賞させていただきました)。
↓↓↓もらってきたパンフレットはこちら。その一端を感じ取っていただけますかどうか。

◆軽~~く書く

今回も青山教室では大作にチャレンジと相成った。1枚に18文字も書かなくてはいけないから大変だ。1枚を仕上げるのに、少なくとも20分はかかったと思う。しかも教室では自分で書くだけでなく、先生の話を聞いたり、先生が書くところを見学したり、書いたものを見てもらったり、「そっかあ・・・」と思索にふけったり、いろいろすることがあるので忙しい。そんなこんなで、結局、2枚しか仕上げることができなかった。
1枚目を書いているとき、見て回っていたO先生から、「そんなに一生懸命、頑張って書かない方がいいよ。黄庭経(こうていきょう)は軽く書くのがポイントだからね」と指摘された。なるほど。以前も紹介したが、今回のお手本の黄庭経は、書聖と謳われる王義之(おうぎし、307?~365?年)が書いた老子の不老長寿の養生訓。力が入っちゃいかんのですな。

↓↓↓そんなわけで、2枚目は一生懸命(?)、軽~~く書いた。これでどうだ!、とO先生のところに持っていくと、「ああ、いいね」と言われ、一安心。でも、矢印の部分、私のは曲がるところの線が太くなっているが、本当は細くなるのが正解。「オーバーに書くとこんな感じ」と先生が書いてくれた朱文字を見るとわかりやすい。ホント、曲がるときは宙に浮くほど軽くなってるよね。

9/07/2006

◆大作(?)を書く

先週の青山教室は、久々に半切(はんせつ)に書くレッスンだった。半切とは紙の大きさのことで、掛け軸の大きさといえば分かりやすいだろうか。教室では、いつも半切の3分の1の大きさに書いていたのだが、今回はその3倍の大きさなので、全体にバランスよく書くのが大変だ。大御所のI先生も来られ、半切に書く時の注意点を話してくれた。まず、お手本を見て、左右の行を見比べるのだとか。そう言われてよく見ると、今回のお手本は右の行に画数の多い文字が集まり、左の行は画数の少ない文字が多い。そんな時は、左側が右側と比べて貧弱に見えないよう、文字を少し太めに書き、左右のバランスをとるといいのだとか。さらに、文字の中心線は縦にぴたりと揃え、文字と文字の間のアキは同じにする。なあるほど・・・、注意することだらけだ。

↓↓↓I先生の教えにならい、左の行の文字を太く書いたら、文字自体が大きくなり過ぎた。画数の小さい文字は、太めであってもコンパクトに書かないとバランスが悪くなってしまう。T先生が朱で書いてくれた「心」や「太」の大きさくらいだと、確かにバランスがいい。やはり大作は難しい。でも、I先生から、「線はしっかりしている。うん、なかなかいいよ」と褒められたので、ちょっとうれしい。

9/03/2006

◆晴れて七級

生まれて初めて書道の級をとった(そんなオーバーなものでもないが)。一番下の七級だったが、『書作』という雑誌の9月号に、ちゃんと私の名前も入っていた。「段」や「級」には全く関心がなかったが、こうやって雑誌に名前が出ると、根が単純なせいか、「よっしゃ!」という気になってくる。

真面目に段級をとっている教室の人たちは、現在、飛び級(?)で上に行くことのできる「特別昇段級試験」に応募するため、課題の書を先生に見てもらったりして、ホント大変そう。この試験は年に1回行われていて、今年はその応募締め切りが9月25日なのだ。T先生に、来年は出すように、と言われてしまった。あまり気は進まなかったが、「応募すれば、今でも1級はとれるよ」とおだてられ、がぜんヤル気になっている(そのヤル気が来年まで持つかどうかわからんが)。

さて、次の『書作』への応募作品はこちら。
↓↓↓前と同様、甥っこを戦で亡くした顔真卿(がんしんけい)の書(758年)の臨書だ。千年以上も前の文字のため、これ嘘字なんじゃないか? と思われる向きもあろうが、嘘字じゃござんせん。

8/19/2006

◆若冲を見に行ってきた

昨日、東京国立博物館の「プライスコレクション・若冲と江戸絵画展」に行ってきた。

展覧会場は、伊藤若冲、酒井泡一、鈴木其一、長沢芦雪、等等、さまざまな画家たちの傑作が百花繚乱、珠玉の江戸絵画がぎっしり詰まった宝船のようだった。動き出しそうなほどリアルな描写にたじろいていると、次には思い切った抽象表現に驚かされ、さらに見事と言うほかない大胆な構図に圧倒されまくった。
掛け軸の不自然に長っ細い空間、幾重にも蛇腹に折られる屏風、そして襖など、西洋にはない日本独自の形をしたキャンパスの中で、あのような大胆な構図が生み出されてきたのだろうか。いや、江戸という時代のなせる業か。
それにしても、江戸期によくぞこれだけの芸術が開花したものだと、改めて驚かされた。
う~~む、また鎖国するしかないか。

8/15/2006

◆久々の書道教室

新しいパソコンの設定が大変で、このところ更新がすっかりおろそかになっておりました。ウイルス対策ソフトを入れればメールやインターネットが使えなくなるし、ホントややこしい。ウイルス対策と称して無菌室に入れられたんじゃあ市民生活はできません!

では、久々に青山書道教室の復習だ。今回も縦線に問題あり、だった。あ~~あ。
↓↓↓赤の矢印の部分に注目。私が書くと、なぜか跳ねに入るところが矢印のようにへこんでしまう。朱で書かれたように尖った形が美しい。先生曰く、私は書くときに筆を立ててしまうからこうなってしまうのだとか。毎度注意されることなのだが、どうも癖になってしまったようで、なかなかうまくいかない。


↓↓↓そんなわけで、これも同じ。先生が書いた朱色の縦に続く点々は、書いているときの筆先の角度だ。最初に筆を置いたときの形のまま、まっすぐ下に線を引く。う~~む。わかっちゃいるけど難しい。


↓↓↓縦線ばかりに気をとられていたら、おっと~、今度は文字の位置に朱が入ってしまったぞ。2文字目の「中」という字。最初の筆は(矢印)、1文字目との空きを考え、文字の大きさを予測したうえで入れなくてはいけない。そうしないと、このように1文字目との空きがなくなる。要するに、囲碁のように(やったことはないけど)、先を読んでから最初の一手を入れることが肝心なのだ。2行目はさらに大変だ。上の文字との空きだけでなく、横の文字との空き、バランスも考えて、どこに最初の一手を入れたらいいか判断するわけだ。さらにさらに、すべての文字の中心線が、縦にピタリと合っていなきゃいけないし。私、方向音痴だから、こういうの苦手なんだよね。

7/31/2006

◆行書に挑戦

扇子の依頼主からようやく電話がかかってきた。どうしたのかと思ったら、なんと携帯が新幹線のトイレに水没してしまい、すべてのデータが消えて誰にも連絡できなかったのだとか。しかも仕事が超忙しく、代わりの携帯を買いに行く暇もなかったのだという。ようやくお店に行ってデータを取り出すことができたけど、水没した携帯は、あわれお亡くなりになったそうな。携帯にしてみれば、新幹線のトイレで憤死という不名誉なことで、かける言葉もない。一同合掌。

では、気を取り直して、土曜日の書道教室の復習だ。
↓↓↓これは唐時代の書家、顔真卿(がんしんけい)の行書『祭姪文稿(さいてつぶんこう)』の一部を臨書したもの。祭姪文稿は、顔真卿が戦死した甥を悼んで書いた弔辞文の草稿だ。この戦には殉死した甥の父親も、顔真卿も出兵していた。しかも甥は親の目の前で首を刎ねられるという壮絶な死に様であった。それだけに、書きなぐられた一文字、一文字から顔真卿の怒り、悲しみの心情が迫りくる。
さて、私の書の方はというと、その心情に思いを至すどころではなく、何とか半紙に7文字を収めようと、それだけで精一杯でござった。

7/22/2006

◆扇子が出来上がった、が・・・

古代文字を扇面に書いたオリジナルの扇子が、先週ようやく出来上がった。仕立てるのに1カ月以上もかかり夏に間に合うのかと心配していたが、なんとか間に合いほっとした。と安心したのも束の間、今度はこの扇子の依頼主と全く連絡が取れないのだ。おーい、どこに消えたんだーー?! ほかの人にあげちゃうぞお。

7/02/2006

◆書道教室でレッスン----今日は本物の臨書

今、青山教室で我々がお手本にしているのは、「古典渉猟―石飛博光臨書集 第8集」で、ここには石飛先生の臨書(オリジナルの模写ならぬ模筆?)作品とともにそのオリジナルが掲載されている。我々の教室では、普段は臨書作品の方をお手本にしているのだが(オリジナルも見るように言われはするが)、昨日はオリジナルだけを見て書くという、本物の臨書のレッスンだった。オリジナルは、むか~~し、むか~しものだから文字が欠けているところもあったりして、なかなか味わい深い。解読が難しい字を探求するのも結構面白かった。今まで慣れ親しんできたお手本を見ずに書くというのは、自転車に乗る練習をしているときに突然後ろで抑えてもらっていた手を離されたような感じとでも申しますか。一人立ちする時は不安もあるけど、新しい発見もいろいろあって、楽しいよね。

↓↓↓「完」という字の跳ねの角度に注目。私のはちょっと左に傾いているが、ここは真上に跳ね上げるのが正解。う~む、よく見ると、確かにオリジナルはそうなっている。



↓↓↓左の点線部分。「ヘン」の右側、つまり「ツクリ」とぶつかるところは点線のところで揃えるように書く。特に私のは「口」が右に出っ張りすぎてしまった。「ツクリ」は赤丸の5箇所の空間がほぼ同じにならなくてはいけない。いやあ、よく見て書いたつもりだったが、見るべきところを見ていないことが、よく分かったレッスンでござった。

6/25/2006

◆新しい書道教室

先週、今通っている書道教室(青山)で教えてくれている若いT先生が始めた教室(赤坂)にハシゴで行ってきた。現在の生徒数はわずか4人(大丈夫なのか?!)。青山教室の人がほとんどだ。ここでは書きたいものを自由に書けるというので、「級」を取るための作品を書くのに丁度いいと思い、取り合えず月に1回だけ通うことにした。実は、青山教室で世話人をしてくれているマミさんから、私のように展覧会に出すだけというのはかなり特殊だから、早く1級まで取ってほしいと懇願(?)されたところだったのだ。

「級」や「段」を取るためには、月に1回行われる「月例競書」に作品を提出しなくてはならない。提出作品は月刊誌の『書作』に出ているお手本の中から自分のレベルに合ったものを選ぶ。あんまりこういうことには興味がないが、勉強にはなるだろうなあ、と一応思う。7級からのスタートだから、先は長いぞお。

記念すべき最初の提出作品は、中国・唐時代の書道家・チョ遂良(スイリョウ、596~658年)の作品「孟法師碑」をお手本にすることにした。チョ遂良は、同時代の虞世南(グセイナン)、欧陽詢(オウヨウジュン)らとともに「初唐の三大家」と謳われる人物。政治家としても優れていて相当高い地位まで上ったが、失脚し、ベトナムに左遷され、その地で亡くなった。寂しい晩年だった人なのだ。
「孟法師碑」はチョ遂良47歳の時の作品。97歳で没した女道士・孟静素(モウセイソ)の墓碑として書かれた。碑石はすでになくなっているが、その拓本が1本だけ残っていて、現在に伝わっている。字の形の特徴は、ちょっと寸足らずで、重心が下にある。その特徴が私の作品で分かりますかどうか。

↓↓↓先生の朱が入ったものがこれ。やはり私のは縦線に問題あり。穂先の向きがポイントで、最初に筆を置いた時(矢印)のまま、向きを変えずに終点を目指して下に書くというのが正解。私は書きやすいように穂先の向きを縦に変えていた(先生にはどうしてすぐ分かっちゃうのか、不思議)。向きを変えないで書くと、堂々とした縦線が出来る、らしい。


↓↓↓これなら、まあいいとしますか。提出用にしようっと。 

 

6/18/2006

◆書道教室・レッスン

昨日はT先生から面白い話を聞いた。T先生がI先生に習っていた時のこと。I先生が1枚の半紙を両手で持ってピンと伸ばし、「ここに筆で書いてごらん」と言うのだそうだ。相当軽く書かないと宙に浮いている半紙は破けてしまう。その時はうまく破けずに書けたのでほっとしていたら、「普段はそんなに軽く書いていないだろう」と、すっかりお見通しだったそうな。宙に浮いている半紙に書くように、力を抜いて書く…。う~~む、まだまだ先は遠そうでござる。

さて、気を取り直して昨日のレッスンの復習だ。
↓↓↓私が書いた文字(墨文字)の矢印部分に問題あり。O先生によると、左払いには大まかに分けて3種類あるんだそうな。ここは朱で先生が書いた一番長い左払い、つまり水平にしてからグーっと払う形が正解。


↓↓↓はい、これでOK。よくできました、と丸をもらってご満悦。


↓↓↓O先生、これもいいね、と丸を付けてから、「ン?」と矢印部分で突然固まった。「どうしてこんな跳ねになるのかな?」 早速、先生は私の書くところを見ながら原因を探求。その結果、書くときに筆先が穂の形ではなく刷毛のような平べったい形になっていたことが判明。私はいつも墨を付け過ぎるので、硯の端で墨を落とすのだが、その際に穂先がべったりと平べったくなってしまったわけ。そ・そうだったのかあ…。


↓↓↓模範はこちら。こんなに簡単そうなことでも、結構難しいのだなあ。

6/11/2006

◆自作の書で扇子

夏が目前となったところで、友人より扇子の注文あり(ホンマかいな)。自分の書を扇子にするには、白扇(はくせん:何も書いていない白い扇子)をできるだけ平たくして直接書く方法と、扇面(せんめん)という扇型の和紙に書いて、後から扇子に仕立ててもらう方法がある。私はやっぱり扇面に書く方が楽かなあ。

↓↓↓というわけで扇面に書いてみました。これは紀元前の「道」という字。こういう古代文字を書いていると、漢字は絵文字だということがよくわかる。ホント、人(いや、宇宙人?)が楽しそうに歩いてるよね。


↓↓↓同じ文字を墨ではなく絵の具で書いてみるとこんな感じ。ちょっと涼しげです。


↓↓↓これは古代文字の「朝」。日がパッと出てきた! というイメージかな。

6/04/2006

◆展示作品の写真をもらった

↓↓↓この間の展覧会(創玄展)に入選した作品の写真をもらった。展示場でプロのカメラマンが撮ってくれたらしい。葉書大の大きさで10枚もある。「友達に配るといいわよ」と言われたけど、相当迷惑だと思うので、ここに展示してお茶を濁そうっと。

6/03/2006

◆書道教室・今日のレッスン

↓↓↓まずは「之」という字だ。ポイントは横線から斜めに曲がる時の角度。つい45度くらいになってしまうが、赤字で直されたように15度くらいにぐっと狭くするのが正解。なーるほど、と思っても手はなかなか動かない。下の「中」は縦線が難しい。真っ直ぐ下に書くというのができそうでできない(縦線は私の弱点でもありまして……)。上の矢印(起点)に筆を置いた時点で、すぐ下の矢印(終点)に目を移すのがコツだとか。つまり書いた線を見ながら書くのではなく、これから書く線の終点を見て書くということだ。そんなこと、できるのか???


↓↓↓これは昔の「距」という字。矢印が今日の注意点で、縦線を長く延ばすところがポイント。ふむふむ、こうだな。はい、これはよくできました。


↓↓↓最後に展覧会用の作品の添削をしてもらった(もうやらにゃいかんと、昨日の夜あわてて書いて持っていった。いわゆる付け焼き場ですね)。注意されたのは横線の書き方。私のは筆を立てて書いているから線が弱いのだそうだ。少し筆を自分の方に寝かせて書くようにする。穂を引きずりながら書くという感覚だとか。さらに線の途中でもう一度軽く力をいれる。ふ~む。なるほどなあ。今日のレッスンは盛りだくさんでござった。

5/21/2006

◆アフリカンフェスタ!

昨日、今日の2日間、日比谷公園でアフリカンフェスタが開催された。アフリカのエネルギーや素朴なアートにどっぷり浸かれる魅力あふれるフェスティバルだ。さまざまな国の出店のテントが並び、今年も大盛況。アフリカの人たちが着ている民族衣装を見ているだけでも楽しい。


さて、今回の戦利品は? 
上はウガンダの布。大枚はたいて8000円で購入した大判の壁掛けの一部。デザイン性の高さに脱帽だ。下は小品だが、アフリカの大地が匂ってくるような雰囲気のある壁掛けで2000円也。これはどこの国のものだったかチェックするのを忘れていた。残念。


◆書道教室・通常のレッスンが始まった

昨日は書道教室の日。前回は団扇に文字を書くという楽しいレッスンだったが、これからは通常のレッスンだ。今期(4月~9月)のお手本は、“書聖”と謳われる中国・東晋時代の書家・王羲之(おうぎし、307?~365?)の楷書「黄庭経(こうていきょう)」。「黄庭経」は道教の経典だが、内容は老子の不老長寿の養生訓だ。そのせいか東洋医学のツボらしき言葉もちょこちょこ出てくるが、門外漢にはさっぱりわからない。ともあれ、その書体を鑑賞してみると、少々扁平気味で、一つ一つの文字は風通しがよく(要するに文字の中にホワイトスペース多い)、格調高い。

それでは、レッスンの始まり始まり。
↓↓↓これは右払いに問題ありと注意された個所(写真上)。払う時、一気に力を抜かず、もう少し徐々に力を抜くようにと指導された(写真下)。なるほどなあ~。



↓↓↓次は「口」の部分の閉じ方。最後の横棒を書いて「口」を閉じた時、私の書(墨文字)では縦棒が飛び出ているが、横棒の方が出ているのが正解。こういう部分でどちらが出ているか、お手本をよく見ることが重要なのだとか。


さて、レッスンの成果は? ハイ、こんなもんでした。風通しのいい黄庭経の雰囲気、少しは出てるかな?

5/14/2006

◆おまけのミロ

古代の素朴な文字を彷彿とさせる近代アートといったら、やっぱりミロの絵だろう。

↓↓↓この絵は15年くらい前にフランスに行ったとき、小さな画廊で買い求めたもの。ストレス社会にどっぶり浸かっていると、なかなかこんな素朴な味は出せないなあ。

5/13/2006

◆取りあえずお手本を鑑賞

来年の展覧会に向け、すでにお手本は入手しているのだが、まだ一筆も練習していない(大丈夫なのか?)。

今回のお手本は、私の大好きな古代文字の「木簡(もっかん)」。金文(きんぶん)より時代は新しいが、やはり紀元前(!)、前漢の時代に書かれたものだ。その頃はまだ紙が発明されていなかったため、木や竹を短冊形にして(標準的なサイズは長さ23センチ、幅1センチ程度)、そこに文字を刻んで記録として残していた。それが木簡や竹簡(ちっかん)と称されている(総称して木簡)。
書かれている内容がすごい。紀元前だというのに、多くは田舎に駐屯した軍隊の記録や帳簿といったもので、他に論語、医学書のようなものまであるというから恐れ入る。

今回のお手本のオリジナルは、敦煌近くの漢時代の遺跡から発見された「敦煌漢簡(とんこうかんかん)」と呼ばれている木簡のうちの一つ。書かれている内容は、烽火があったらどうするこうするといった軍隊記録のようで、決して楽しいわけではないが、なぜか見ていると楽しくなる、元気のいい文字なんですわ。いやあ、見ているだけでなく、早く書かなきゃなあ・・・。
◆入選作品が戻ってきた!

↓↓↓これは今年の3月に開催された書の展覧会(創玄展)に入選した時の作品(部分)。今日、それが戻ってきたので、記念にパチリ。展覧会には怖いもの知らずで応募してしまったが、何とかひっかかり入選することができて、ほっ(ヨカッタ、ヨカッタ)。



因みに、上記作品は顔真卿(がんしんけい/709~785年)という唐の時代の超個性派書家が書いた「告身帖(こくしんじょう)」の一部を臨書したもの。この告身帖には、顔真卿に皇太子の教育係を命ずるという内容が書かれている。要するに昔の辞令書だ。それをなぜか受け取る本人の顔真卿が自分で書いている。やはり大物は違うなあ。

5/06/2006

◆団扇に中国の古代文字を書く

前衛書道家を目指し(?)、突然書道の教室に通い始めてから早や2年。
月に2回の教室で、現在、書道の楽しさを満喫中。

本日の教室でのテーマは、「団扇に好きな文字を書く」。

そこで前々から気になっていた古代・中国の文字、――出土した青銅器に彫られていた文字(金文-キンブン-と言う)、を書くことにした。ミロの絵を彷彿とさせる素朴で楽しい文字だ。紀元前のものでありながら、今の漢字を想像できてしまうところがスゴイ。

↓↓↓ まず、たっぷり薄墨を含ませた筆で右下の「州」という字を書く。その上に濃い墨を筆の先っぽでトンと乗せてグラデーションを作ろうと思ったが、思惑どおりに薄墨と交わってくれない。「まいったなあ」と、一向に交わってくれそうもない濃い墨の斑点を睨んでいると、若いT先生が通りかかり、「その黒い点を活かして別の文字を書いたらいいよ」とのご託宣。そこで、黒い点が文字の一部になるように、濃い墨で「氏」と書いてみた。うむ、まずまずの出来栄えだ。しかし、上の空間が多すぎるのがちょっと気になる。ここに何を書いたらいいか・・・、よいアイディアが浮かばない。あきらめて大御所のI先生に助けを求めると、「う~ん、そうだねえ」と言いながら、ひょいと青い絵の具で「有」(これも金文)と書いてくれた。
お~~~っ、いいではないか。



↓↓↓ この文字は「還」。どこが「還」かと思ったが、ヘンとツクリを左右入れ替えると、確かにそう見えなくもない。さて、ミロの絵をイメージしながら、今度は思いっきり濃い墨で書いてみる。ミロの雰囲気、出たんじゃないか?



↓↓↓ その裏に小さく「東」と書く。おしゃれになるはずが、残念! 文字の位置が真ん中よりも左に寄ってしまった。そこで再びI先生登場。ちょちょいと朱文字で「南」と入れてくれた。なんと、完璧な出来ではないか。う~む、満足でござる。