12/14/2014

◆葉っparty!

先週、葉っぱをテーマにした作品の発表会「Happy Happy、葉っparty!」なるものが、ごくごく内輪で開催された。私もそのパーティ(?)に出品したので、その作品たちをちょっとご紹介しよう。葉っぱの絵は実際の葉に墨などを付けて版画のようにペタンと押し、筆ペンや鉛筆、色鉛筆を使って仕上げた。それを古代文字の書とコラボしてみたら、あら不思議、意外にもマッチするんだな、これが。

↓↓↓書は甲骨文(こうこつぶん)で「福」。桜の葉とのコラボだ。1枚の葉っぱが古代の空気を運んで来てくれたような感じ、しないかな?
↓↓↓こちらも同じく「福」を意味する甲骨文。葉っぱは名も知れぬ雑草だ(知らないだけか)。
↓↓↓モノクロのテーマは(こじつけだが)「直線と曲線、白と黒」。カラーは「光の饗宴」、虫食いの葉っぱからこぼれるキラキラした光に魅せられて描いたものだ。自然はホント、感動に満ちているんだよね。

12/12/2014

◆締めの九成宮醴泉銘

いつの間にやら12月も中盤、今年も残りわずかとなってしまった。書道については今年もかなりご無沙汰した時期があったのでイマイチ締まらないなあ、と思い、意を決して九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)をまとめて臨書することにした。これは唐時代の書家・欧陽詢(おうようじゅん)が76歳のとき、皇帝・太宗(たいそう)の命を受けて書いた碑文だ。碑は太宗の離宮である九成宮に美味しい泉がわき出たことを祝って建立されたものだという。

さて、まとめて臨書するにしても実際の碑文は相当に長いので全部は無理だとあきらめ(あきらめが早い!)、自主課題で習ったところだけにしてお茶を濁すことにした。それでもやっぱり、長かった~。

↓↓↓文字数は縦8文字×横8行で、画仙紙の大きさは67×96cm。こういうものは各文字の中心と両隣の文字の中心が揃っていると美しいのだが、なかなかうまくいかない。ま、敢闘賞ということで、一応締めにしておこうかな。


11/28/2014

◆ヴァンジ彫刻庭園美術館 in Shizuoka

現存する彫刻界の巨匠、ジュリアーノ・ヴァンジの作品のみを展示する世界唯一の美術館が静岡県長泉町(クレマチスの丘)にある。ヴァンジはイタリアの具象彫刻家で現在83歳。その作品は、イタリアの豊かな大理石資源を活用した石像は言うに及ばず、木彫、ブロンズ像と幅広い。ヴァンジ彫刻庭園美術館にはそんな彼の主要な作品の多くが所蔵されており、広い庭園を散策しながらそれらをゆっくりと鑑賞できるのだ。我々が訪れた日はあいにくの雨だったが、雨に濡れた彫刻たちは、まるで内部から光を放っているかのように生き生きとしていた。しとしと雨も悪くないのである(これ負け惜しみ)。

彼の彫刻は独特の厚みと重量感ある体幹だけでなく、目や眉毛などに施された象嵌も見所だ。しかし何と言っても、その顔の表情の強さ、深さに釘付けになってしまう。
これは日本の能をイメージして作られた作品。
クレマチスの丘には他にベルナール・ビュフェ美術館もあり、その一画で「長谷川ジェット ストレート、ロックで」が開催されていた。長谷川氏は地元の静岡県長泉町で制作活動している画家なんだとか。元気をもらいたい人におすすめの元気いっぱいの展覧会だった。こちらは来年の1月13日(火)まで。


11/05/2014

◆鉛筆デッサンと書道?

このブログ、あまりに更新しないのですっかり忘れ去られている気もしないではないが、心を入れ替え久々の更新だ。

先週、去る所で鉛筆デッサンの衝撃的な講習を受けたので、今回はそれを紹介したい。書道とは何の関係もないように思えるが、実は深いところで繋がっていた。

デッサンに必要なのは、まずは鉛筆。デッサンのための道具だ。しかしその「道具」が、一筋縄でいくシロモノではなかった。先生曰く、道具とは「道」に「具(そな)える」ためのもので、厳密に言うと文具店で売っている鉛筆は単なる工具で道具ではないんだそうだ。
道とは「道を究める」こと。書道や武道、茶道などのあの「道」だ。

そこで最初に教わったのが、鉛筆をデッサンの「道具」にするための方法だ。ま、要するに鉛筆をカッターナイフで削る方法なんだけどね。先生の教えに従って鉛筆をナイフで削り終え、ようやく我々はデッサンのための「道具」を手に入れることができたのだ。
書道で言えば自分ですった墨は「道具」だが、墨汁は「工具」。この2つの決定的な違いは「具える」という行為をするかどうかなのだそうだ。

そう言えば、ヤンキースのイチローはグローブやバットの手入れを人に任せず自分でするというのをテレビで見たことがある。他の選手は皆専門家に任せるのに、イチローは黙々と自分の「道具」を手入れしていた。その姿は「道を究める」武士のような雰囲気を醸し出していた。

さて道具も整い、いよいよデッサンかと思いきや、次は鉛筆でグレースケールを作るという作業が待っていた。横長の長方形のカラムを15に分け、白から黒までグラデーションにしていくのだ。

↓↓↓上は2Hの鉛筆、下は2Bの鉛筆で作ったグレースケール。
このグレースケールの作成にも、やっぱりいろいろなポイントが詰まっていた。
まずゴールを決め、そのゴールに行き着くための計画を立てる。それをしないでただ順番に色をぬっていくだけではきれいなグラデーションは作れない。つまり、作品を描くときと同じ作業が必要になるのだ。

先生はグレースケールに悪戦苦闘している我々に「その黒はもっと濃くなる、そんなもんじゃないよ」とアドバイスしてくれるのだが、確かにやってみると2Hの鉛筆ですらもっとずっと濃い黒にすることができ、これもまた新鮮な驚きだった。
そして、グレースケールを作成して分かる最後の重要なポイントがこれだ。

ー道具の能力を知るー

道具の能力を知らなければよい作品は描けないのだ。

いやあ~、私、道具の能力を知って書道していたかなあ・・・。
そんなこんなで、いろいろ考えさせられた1日だったのである。

8/08/2014

◆個展制作のお手伝い終了!

青伸書道会を主宰する種家杉晃先生が、来月下旬、個展を開くことになった。その制作の手伝いを5月の連休あたりから皆でチョコチョコやっていたのだが、ついにこの間の日曜日に終了と相成った。いやー、よかった、よかった。手伝う者にとっては文字通りの終わりで「ヤッター!」となるのだが、先生にとってはまだ細かい作品を書かなきゃいけないなど、他にも山ほどやることは残っているそうで、そう簡単には喜べないようだ。でも、ま、一つの区切りではあるわけだから、目出度い、目出度い、ということにしておこう。

そうこうしている間に個展の案内葉書も出来上がってきた。メインのビジュアルは相当にこだわって撮影したものなんだそうだ。たっぷりの墨液の上に墨が一滴落ちて波紋が広がり、墨液に写っていた螺旋階段がその波紋によってゆらいでいる様子が撮影されている。個展のタイトルは「Aroma Classico」。古典の香りただよう現代書ということか。螺旋階段は過去(古典)から現在へと連綿とつながっていることをイメージしているんだそうだ。個展がどんな感じになるのか、期待が高まるよね。
種家杉晃書展、9月25~30日、銀座・竹川画廊にて(詳細はこちら)。漢字を中心としたその作品群は、墨とさまざまな種類の(先生こだわりの)画仙紙とがぶつかり合い、それぞれが違った表情を見せていて魅力的。これらがどのように表装(または額装)されるのか楽しみだ。こういう面白さは個展ならでは。多くの方に実際に見て楽しんでいただけたら嬉しい。

7/24/2014

◆毎日展&台北・故宮博物院展!

あまりの陽射しにくらくらしながらも、昨日、毎日展に行き、さらに東京国立博物館で開催中の故宮博物院展に行ってきた。お目当ての散氏盤(さんしばん、前9~前8世紀)は、入口を入ってすぐの場所にいきなり展示されていた。ビックリだ。しかもその青銅製の器は思っていたよりずっと大きい。口径55センチ、高さ21センチで、広々とした底の部分に銘文が刻まれていた。これがまさに古代の青銅器に刻まれている文字、金文だ。臨書用の本を見ると金文の項では必ずと言っていいほど出てくる「散氏盤」の本物だ。当たり前だが、見慣れた拓本の文字ではなく、青銅器に直接刻まれた古代文字は生き生きしていた。やっぱり実物は凄いよね。
初っぱなで目的を果たしてしまったので、すぐに帰ってもいいくらいだったが、取りあえず中に入って行ったら思いがけず書が多く展示されており、ちょっと得した気分になった。王羲之(おうぎし)はもちろんのこと、かつて赤坂書道教室の共通課題で習ったことのある蘇軾(そしょく)や黄庭堅(こうていけん)の書もあり、「おう~、これこれ」と知ったかぶりもできたのだった。
↓↓↓これは毎日展で入選した自作の「水魚の交わり」。そういえば、これ金文なんだよね。古代人の楽しそうな雰囲気が表現できていると嬉しいのだが・・・。

7/21/2014

◆「明」を甲骨文で書いてみた!

関東でもようやく梅雨明けの気配が高まってきた。「梅雨明け」の前祝いではないが、今回は「明」の一文字を甲骨文で書いてみた。作品として耐えうるものになるといいのだが・・・。

↓↓↓これが半切1/3に書いた甲骨文の「明」。Aの空間を「明」と読めるギリギリまであけたらどうかとのこと。その場合は、日と月が別々の文字に見えないように、Bをしっかり長くして一体感を出すのがポイントだ。
↓↓↓いつもの自主課題、空海の忽被帖(こっぴじょう)。「迫以法儀暫か(く)」の6文字だ。全体的には(いつものことだが)、文字の位置が駄目だった。Aはもう少し空間をあけた方がいい。
 ↓↓↓共通課題褚遂良(ちょすいりょう)・文皇哀冊(ぶんこうあいさく)。これも全体的な文字の位置・バランスが悪い。Aはもう少し大きく書きたかったところ。それにしても、いつも同じ指摘を受けながら、ちっとも進歩しないのである。毎回、付け焼刃で書いているのがいかんのだろうなあ。反省。

7/20/2014

◆クールな現代アート展へ

今日、ダウンタウンレコード(東陽町)で開催中の知り合いの個展に行って来た。タイトルは「森敏明Bの図法」。作品はモノクロ写真をベースにした現代アートで、どれも理屈抜きにカッコいい。CDではなくレコードを売るショップに、森さんの作品群が妙にマッチしているのも面白かった。何となく懐かしさ漂うニュアンスのあるモノクロ写真に(それだけでも十分魅力的なのに)、惜しげもなくバサリ、バサリとビビッドな線やら文字やらを乗せて、独自の世界を作り出している。センスいいんだよねえ。
 ↓↓↓これはブックカバー。いくつかの作品を使ってブックカバー用に仕立てたものだ(Good idea!)。校正刷りをそのままデザインにしているところがこれまたニクイ。上は単行本サイズで300円、下が文庫本サイズで200円也。
 ↓↓↓早速、本にカバーをかけてみた。おー、なかなかいいんでないかい? 早く電車の中で本を開いてみたくなったぞ。
展覧会は明日まで。興味のある方はぜひ!

7/15/2014

◆無為に再挑戦!

今回の主役は「無為」の二文字。今年3月に挑戦して以来ほったらかしのままだったが、突如思い出し、再挑戦してみた。「無為」とは自然のままで作為のないことを意味する。なかなか深い言葉なのだ。

↓↓↓先生からはいろいろな書き方を教えてもらった。Aの点は丸だけでなく細長い形も入れ、A'の方はそれと同じにならないように向きを変え、違いを出したらどうかと。確かにそれも面白そうだ。Bの線は短くするという手もある。作品にするときは画仙紙の左右を少しカットした方がよいとのこと。
↓↓↓次は自主課題。欧陽詢(おうようじゅん)の九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)。Aは空間をもっと広くとる。BやB’の払いは少し弧を描いてしまった(Cの上)。ここは逆にそるように書かなきゃいけなかった(Cの下)。
↓↓↓こちらも自主課題。空海の忽被帖(こっぴじょう)だ。最後の字は偏は「言」、つくりは「乞」で、「おわ(んぬ)」と読む。
 ↓↓↓最後に共通課題褚遂良(ちょすいりょう)・文皇哀冊(ぶんこうあいさく)を2つ。Aは左に傾き過ぎた。Bはもっと大きく書かないと全体のバランスが悪い。バランスを考えながら書こうと思ってはいるのだが、つい今書いている文字にばかり集中してしまうんだよね。

7/11/2014

◆木彫???

7月も中盤に入り、蒸し暑さが否が応にも増すなか、さる所で汗だくで木彫までしてしまった。何てこった。

まだ完成には至っていないが、タイトルは「Good job!」。その制作過程がこちら。

↓↓↓自分の左手をモデルに鉛筆デッサンし、それを楠の角材にうつして、まずはノコギリで大きく削っていく。立体を理解するのは本当に難しい。どこをどう切ったらいいのやら。しかも初ノコギリだ。疲れる~。
 ↓↓↓次はノコギリだけでなくノミとトンカチも使い、どんどん削っていく。あれ? 何とか手の形になってきたんじゃないか? 
↓↓↓ようやくここまで来た。「Good job!」の形になったかな。いや~、それにしても疲れた。木彫は体力勝負だということを実感。

6/28/2014

◆2カ月ぶりの更新!

梅雨のうっとうしさの中、風邪を引いたりしてグダグダしていたら、前回の更新から2カ月が経ってしまった。いや~、油断も隙もあったもんじゃない。などという訳の分からない言い訳はこれくらいにして、久々の更新、早速、始めるとしよう。

↓↓↓ まずは、自主課題のひとつ、空海の忽被帖(こっぴじょう、812年頃)。空海が書いた手紙3通をまとめた風信帖(ふうしんじょう)と呼ばれる巻物の中にある1通だ。ここで書いているのは「及左衛士督尊」。Aは空間が狭すぎた。Bは上下の文字が近づき過ぎだ。
↓↓↓こちらも自主課題で、欧陽詢(おうようじゅん)の九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)。筆はいつもの羊毛ではなく兼毛を使った。Aは右肩上がりが強すぎた。BとCはもう少し下げて書きたかったところ。
↓↓↓最後は赤坂書道教室の共通課題、褚遂良(ちょすいりょう)の文皇哀冊(ぶんこうあいさく)だ。上は「昭陵礼也鳳紀」、下は「疑秋龍帷将曙」。Aの偏は横幅が広過ぎた。1/3程度の幅に収めたかったところ。Bはもう少し右に。Cはハネの部分が下がってしまったが、もう少し上だった。細かいところだが、基本的なことなんだよね。残念。

今回はこのブログの更新が久々だっただけでなく、赤坂書道教室の方も久々だったので、自主課題と共通課題だけでいっぱいいっぱいとなってしまった。今後はもうちょっと頑張らなきゃなあ、と自らを鼓舞しておりますが、果たしてどうなりますか。

4/22/2014

◆毎日展への出品作品制作も大詰め!

桜が散ってしまったなあ、などと感慨にふけりながらボヤボヤしていたら、毎日展への出品締切日がもう目前に迫ってきた。それが終われば春も過ぎ去り、うっとうしい梅雨の後はあっつい夏がすぐに来てしまう。油断も隙もあったもんじゃないのだ。

毎日展に出品するためにチョロチョロ書いた作品はこちら。古代文字と隷書の2種類を書いたのだが、はて、どちらを出すことになりますか。
↓↓↓これは赤坂書道教室の自主課題・欧陽詢(おうようじゅん)の楷書で九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)の臨書だ。うまいこと書けたような気がしていたのだが、Aで分かるように、横画がすべて右上がりになり過ぎだった。残念~。
 ↓↓↓共通課題は褚遂良(ちょすいりょう)の行書で文皇哀冊(ぶんこうあいさく)。Aの縦画の線はBのように柔らかい曲線にすると美しい。Cの「月」はもう少し大きく書きたかったところ。全体的には使った筆が小さすぎた。もう一回り大きい方がよいとのこと。次回はリベンジしなきゃなあ。


4/08/2014

◆新たな共通課題スタート!

東京の桜は徐々に葉桜となり、寂しいなあと思っていたら、どっこい枝垂れ桜は満開だった。こんな風にちょいとずれて咲いてくれると、思いがけないプレゼントをもらったみたいで嬉しいよね。
枝垂れ桜を堪能したところで、さて本題。 赤坂書道教室では新しい共通課題が始まった。今度は褚遂良(ちょすいりょう)の草稿とされる文皇哀冊(ぶんこうあいさく、649年)。唐の太宗皇帝が亡くなったときの追悼文だ。これまでの草書と違い、文字の崩れが少ない行書なので、まあ読みやすいかな。
↓↓↓Aの払いは角張らせずに丸みを付けた方がよかった。Bの横画は先生の朱(C)のようにもっと中間を細くするとリズムが出る。
↓↓↓今回は書いたものが少なかったのでオマケをひとつ。筆は種家先生から買った兼毛。その下の書は自主課題のお手本として先生が書いてくれたものだ。1つは楷書の名品・欧陽詢(おうようじゅん)の九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい、632年)。この兼毛で楷書をガッツリ書くつもりだ(たぶん)。もう1つは空海が最澄(さいちょう)に送った手紙3通をまとめた風信帖(ふうしんじょう、812年頃)。自主課題はこの3通のうちの忽披帖(こっぴじょう)だ。どちらも真面目過ぎて、「“らしく”ないなあ」と先生に言われてしまった。確かに、自分でもちょっと心配・・・。

4/02/2014

◆桜満開!

寒~い冬の間は二度と暖かくならないのではないかと心配していたが、そんなこたぁなかった(当たり前か)。近所の桜は満開となり、特に何があるというわけでもないのに浮足立ってしまうのだ。まずはお花見、それから書道といきますか。

↓↓↓甲骨文で書いた「喜雨」。今回、「喜」をいつもと違う形のものにしてみた。宇宙人のようにも見え、密かに気に入っている。Aの部分、まるで雫が垂れたようになってしまったが、ここはきちんと書かなければいけないところだった。
↓↓↓次の2つは雑誌「書統」のお題だ。どちらももっと太い筆で書くべきだった。残念!
上:Aは余白をたっぷり取った方がよかった。Bの縦画は先生の朱のようにもう少し内側に。こういうところ、分かってはいるんだけど、つい腕が動いちゃうんだよねぇー。
下:全体的にかな文字が弱すぎた。目をうんと細めて見たときに文字が見えないようなのはNG。
↓↓↓最後は自主課題の顔真卿(がんしんけい)・祭姪文稿(さいてつぶんこう)。これはまずまずの出来、ということにしておこう。

3/04/2014

◆花粉の季節到来・・・

なかなか暖かくならないのに、今年も花粉の季節がきっちり来てしまった。それにしてもこの寒さ、よく続くなあ。鼻をグズグズさせながら、「花粉はいいから、さっさと春よ来い!」とブツブツ言っている今日この頃なのだった。

さて、本題。今回は前回とほとんど同じものの紹介なのでちょっと代わり映えしないかもしれない。注目点は、少しずつ進化しているかどうか(いや退化か?)、といったところかな。

↓↓↓ まずは「無為」。全体のバランスからみてAの墨がたっぷり過ぎて、ヘンに目立ってしまった。このようにAで墨を足し、Bがカスレるのは常道だが、Bで墨を入れてみてもいいかもしれないとのこと。なるほどね。また挑戦してみようかな~。
↓↓↓今回は張瑞図(ちょうずいと)の草書「飲中八仙歌」を半切に書いてみた(前回は半切よりも一回り大きい紙だった)。上は書き出しの部分で、下が最後の締めの部分。最後になるほど調子が乗って高揚しているところが何か恰好いいなあ、と思って臨書したんだけど、少しはその雰囲気、出せただろうか???
↓↓↓自主課題の顔真卿(がんしんけい)・祭姪文稿(さいてつぶんこう)だ。Aは長くなり過ぎた。全体的には墨が足りなかった。Bで少し足し、Cでもきっちり足したかったところ。
↓↓↓こちらはAとBの部分が詰まり過ぎ。さらにやっぱり全体に墨が足りなかった。ざ~んねん!