12/16/2007

◆新年に向けて色紙を書く

青山書道教室も赤坂書道教室も、ついに今年最後のお稽古となった。おかげで、忘年会を1日に2回もしてしまった。年の瀬は本当に忙しいのだ。

↓↓↓まずは、いつもの木簡の臨書。湾曲するところの太さがポイント。私のは太くなるのが早すぎる。先生の朱のように、湾曲しているところはもっと細くして、はねる手前で太くするのが正解。


↓↓↓最後は年末の教室の恒例、新年のための色紙を書いた。自分の好きな文字を書いていいというので、私は紀元前の古代文字、青銅に彫られている金文(きんぶん)と呼ばれる文字の中から、来年は様々なことが豊作であるよう願いを込めて「豊」という文字を書いた。T先生からは、なかなか味わいがあっていいよ、と言われ、ちょっといい気分で本年は終了。

11/25/2007

◆初の賀蘭汗造像記(がらんかんぞうぞうき)

今週は青山の書道教室がお休みだったため赤坂の教室だけだったが、「賀蘭汗造像記」(502年)の臨書に挑戦できたので、満足、満足。と言っても、何のことだかさっぱり分からない人がほとんどだと思うので(私もだが)、超簡単に解説しておこう。時は中国・北魏(ほくぎ)時代。廣川王であった賀蘭汗の妻が、亡き夫のために弥勒像を造った顛末記がこの“造像記”だ。荒削りで力強い書体だが、素朴さがなんとも魅力的である。これは北魏時代の仏像や造像記がたくさん見つかっている龍門(りゅうもん)という石窟の天井付近に彫られているものだ。一度行ってみたいなあ。

↓↓↓始筆はいいけど終筆に問題あり(A)。筆を進行方向に少し倒す感じに書くといい。私のはボタッとしているけど、先生のはスッとしていて切れ味がいいよね。曲がり角はウエストのようにキュッと絞る感じに書く(B)。そして(C)の部分。この縦画の入り方は通常の左からではなく、先生の朱のように右から入る。そういう細かいところも、オリジナルをよく観察しなくてはいけない。なるほど、確かにそうなってるよなあ。


↓↓↓注意を守って書いたつもりの習作。月例競書の出品作だ。

11/18/2007

◆顔真卿の肉筆楷書作品に感激!

今、台東区・鶯谷にある書道博物館で、顔真卿(がんしんけい)の肉筆楷書作品『自書告身帖』(唐時代、780年)が一般公開されているというので行ってきた(11月25日まで)。普段はそのレプリカが展示されていて、本物は滅多に拝むことができないので、貴重なチャンスだと思って慌てて(?)馳せ参じたというわけだ。1200年以上経っているというのに保存状態はすこぶるよく、書き手の迫力が伝わってくる堂々たる書で、しばし見とれてしまった。顔真卿の息遣いが感じられる、本物ならではの魅力に満ちていた。いつも先生には、顔真卿の字は速書きせず、粘っこく書くのが重要だと言われてきたが、本物を見て「本当にどっしりとした書なんだなあ」と心底納得してしまった。

↓↓↓早速、そのレプリカ1万円也を購入。それにしても姿形はほとんど同じなのに、本物とレプリカとの間には、どうしても越えることのできない川があるのだった。


↓↓↓これは今回の青山書道教室のお題である隷書(れいしょ)のひとつ、張遷碑(ちょうせんひ、186年)の臨書。T先生からは「うまくなったなあ」というお褒めの言葉とともに、「佳」の文字をいただいた、ちょっと自慢の習作。


↓↓↓赤坂書道教室のお題は、張遷碑の時代からさらに遡ること200年以上となる古代文字の木簡(もっかん)。その伸びやかな文字が大好きなのだが、実際に臨書すると、現代人の性か、どうしても硬くなってしまうのが情けない。特に2文字目の横画、もっと伸び伸びとさせなくてはいけないのだが…、う~~む、確かに硬いよなあ。

11/11/2007

◆オリーブの実!

書道とは何の関係もないが、預かり物のオリーブの木に、な・なんと、実がなっていてビックリ。春から夏に枝がグングン伸びて、白い花がいっぱい付いたが、まさか実までなるとは思わなかった(たった3つですが)。近くに別の種類のオリーブの木がないと実はならないというようなことをインターネットで読んだことがあるが、うちに元からある貧相な1本のオリーブの木が功を奏したのだろうか? ま、とにもかくにも、目出度いぞ。

↓↓↓熟す前の紫がかったグリーンの実とすっかり熟した黒い実。そして全く気づかなかったため熟しすぎておばあさんになっちまった実の合計3個。大きさは、結構デカイ・・・。


10/21/2007

◆昇段級試験で2級から準初段に

今回の青山書道教室では、『書作』の特別昇段級試験の結果発表があった。私は10分くらい遅刻して行ったため、もう発表が終わった後だったのだが、席に着いたとたん、先生から「2級から準初段まで上がったので、本人はいなかったけど皆で拍手したんだよ」と言われ、びっくり(とはいえ、このクラスはできる人だらけだから、準初段だって最低レベルなんだけどね)。ま、ギリギリ「段」を取れたということで、目出度し目出度し。

↓↓↓これは前回から始まった隷書(れいしょ)の臨書だ。久々に登場したO先生からは、「字形はいいですよ~」と褒められたが、朱の丸の部分、つまり横画の終筆の部分はそこで止めずにすっと宙に浮かせながら伸ばす。これは何度も言われるところだが、難しい。


↓↓↓次は赤坂教室のお題、木簡(もっかん)だ。最初の文字の矢印部分、始筆はT先生の朱のようにもっと右から入らなくてはいけない。さらに隷書同様、終筆はあくまで軽く伸びやかに。どちらもわかっちゃいるけど、なかなか身に付かないんだわ。


↓↓↓そして最後がいつもの月例競書に出す褚遂良(ちょすいりょう)の臨書。さて、準初段の腕前に見えますかどうか?

10/07/2007

◆隷書に挑戦

青山の書道教室は今回から新しい期に入り、後漢時代の隷書(れいしょ)・『張遷碑(ちょうせんひ』(186年)がお手本となった。これは隷書のなかでも力強さが特徴の作品だ。な~んて言ってもさっぱり分からないと思うが(私も最初はさっぱり分からなかった)。そもそも隷書というのは漢の時代に発達したもので、速く書くことが求められた当時の社会情勢から、速書き用に工夫された書体らしい。それまで用いられていた書体は篆書(てんしょ)と言って、今は「印」によく使われている超複雑な書体だったので、速く書ける書体が求められたというのはよくわかる。文明が発達すると古今東西問わず、人は合理化に知恵を絞るんですなあ。

さて、隷書の書体の一番の特徴は横線だ。普通、横線はやや右上がりに書くものだが、隷書の場合は水平。さらに横線の終筆部分のハネが大きな三角になるという特徴がある。これは波磔(はたく)と呼ばれるもので、速書きの中にも装飾性を重んじたためだとか、速く書いているうちに自然にそうなったのだとか言われているが、真相は分からない。どちらにしろ、現代では隷書的文字が広告に使われたりして、その個性的な書体は今でも人を魅了している。
一方で、私たちが普通に書いている楷書も行書も、ルーツはこの個性的な隷書にあるというから驚く。ホント、一筋縄ではいかない隷書なのだ。

今期のお手本『張遷碑』は、河南省の蕩陰令(とういんれい・相当上のお役人?)だった張遷の徳政を称える碑文。オリジナルは本当に元気のいい剛健そのものの文字なのだが、私のはちょっとおとなし過ぎたかな?

↓↓↓曲がり角で力が入りすぎてしまった(左上の矢印)。あくまで軽く、ちょっと上に持ち上げるように書く。右側の丸をもらった角はOK。隷書の特徴である波磔は、(一目瞭然だけど)下の矢印部分だ。結構いい感じで書けているよね。


↓↓↓これは赤坂の書道教室のお題、木簡(もっかん)の臨書だ。これまでにいろいろ木簡を書いてきたけど、こんな書体は初めてだ。そもそもなんという文字かが分からない。最初の「建」は分かりやすいが、次は・・・、ハテ? 正解は順番に「武」「ソウ(三十の意味)」「一」「年」「十二(はみ出ているが下に横線がもう一本ある)」。読み方は分からなかったが、T先生からは「いい感じに書けてるよ」とお褒めの言葉をいただき、目出度くも「佳」を付けてもらった。



↓↓↓最後は月例競書に応募する作品。褚遂良(ちょすいりょう)の臨書だ。やっと納得のいく作品に仕上がった。はい、お疲れ様でした。

9/30/2007

◆木簡(もっかん)と褚遂良(ちょすいりょう)、そして特別昇段級試験

今回も赤坂書道教室のお題は「木簡」だ。随分うまくなったはず、なのだが・・・。さて?

↓↓↓結構イイ線いったと思ったが、先生の朱が入ったところ、横線が駄目だった。始筆から終筆まで同じ太さで書くのが正解。私のは徐々に細くなってしまった。


↓↓↓これは「書作」に提出する月例競書のお題「褚遂良」の楷書。細い線が美しい、味わいのある碑文だ。先生の朱のように、細い線を鋭く書くと、キリリとした力強さが出る。残念ながら私のはイカンですなあ。来週も教室があるので、これはもう一度挑戦した方がよさそうだ。


↓↓↓最後は初の挑戦となる「書作」特別昇段級試験に提出した半切作品の習作だ。行書(顔真卿の争坐位稿)と楷書(高貞碑)の2種類だが、どちらも2行目の墨を入れる位置がポイント。上から2文字目にするとバランスがいい。この注意を守って書いた作品を提出したのだが、果たして結果やいかに。

9/23/2007

◆恵比寿ガーデンプレイスで書道?!

昨日、恵比寿ガーデンプレイスの第13回アニバーサリーイベント「書 KAKU ~想い、筆にのせて~」に行ってきた。さすが「書」がテーマのせいか、いつもとは客層が違い、お年寄りと子供が多かった。

↓↓↓恵比寿ガーデンプレイスに入ると、すぐに迎えてくれるのがこちら。巨大な筆のオブジェだ。


↓↓↓本日のメインイベント、若き書道家・武田双龍と和楽(二十五絃箏)の奏者・中井智弥のコラボレーション。大空の下、武田双龍が大筆で渾身の力を込めて書く姿は圧巻。その姿を見ながら中井智弥がアドリブで奏でた音色は、実に伸びやかだった。


↓↓↓そして最後は、大きな紙に観客が思い思いの字を書くという大空イベントらしい締めと相成った。私も早く、こんな大きな紙に一文字ドカンと書いてみたいなあ~。

9/17/2007

◆木簡(もっかん)はイイ線いってる?

赤坂の書道教室では、今回も紀元前の古代文字・木簡(もっかん)の臨書を楽しんだ。古代人の大らかで素朴な文字を見ながら書いていると、現代社会のストレスなんか吹っ飛んでしまいそうだ。

↓↓↓矢印のとおり、終筆は先生の朱の位置まで下がった方がいい。つまり「女」という字の下を左右で揃えるということ。でも他の3文字はOK。線に緩急があり、なかなかいいとのこと。行書は駄目だけど、こういうのは書きやすいよなあ~~。


↓↓↓「火」の最後のはらいは、朱のように下向きに。「亭」の矢印Aは朱(矢印B)のように軽~く書く。私の曲がり角は、ちょっとぼってりしてしまった。


↓↓↓最後は、木簡程度じゃストレスを発散できない!という首までストレス漬けのあなたに。青山の書道教室で書いたこの栞(しおり)をどうぞ。「ただいま雲隠れ中」という言葉だけ残し、どっかに行っちゃうというのも手でござる。

8/19/2007

◆花火大会!

昨日は世田谷区主催の多摩川花火大会。実家の屋上は世田谷区の花火をバッチリ観賞できるため、恒例の花火+バーベキュー大会で盛り上がった。丁度、叔母夫妻が遊びに来ていたので、参加者はいつもより多い11名と相成った。

↓↓↓では、屋上から携帯カメラで撮った花火をどうぞご観賞あれ。



◆大御所I先生登場

青山教室の授業に、久々にI先生が登場。書のちょっとしたコツについての話は、すでにT先生から聞いていたことだったりするのだが、「やっぱりそうなのか」と、再認識するよい機会であった。その1、画数の少ない文字はやや控えめに書く(そうすることで余白が引き締まる)。その2、お手本の字をよく観察し、ヘンとツクリの大きさの違いや背の高さの違いを見比べる。その3、2~3枚書いたら(特に半切)、お手本と一緒に壁にかけて観察し、どこが悪いかチェックする(これをしないと、いくら書いても意味がない!)。

↓↓↓ヘンとツクリの背の高さの違いを全く見ていなかったことがバレバレなのがこちら。最初の文字のヘンの高さは、先生の朱の通り、ツクリよりも低くなくてはいけない。さらに華という字の下3本の横線の始筆は、草カンムリより左に出ていなくてはいけない。手本を慌てて見直してみると、どちらも確かにその通りなのだった。トホホ。


↓↓↓そして、これが月例競書に出す半紙作品。一応、トントン拍子に2級まで進級したのだが、早く段をとらなきゃなあ。

8/14/2007

◆暑い……

真夏だから当たり前だが、それにしても、この日差しの強さには、凹む。駅から赤坂教室までの道のりの、たかだか数分が実に長く感じられた。網で塩焼きにされる魚になった気分だ。
この暑さに清涼感のある古典と言えば、初唐時代の大家・褚遂良(ちょすいりょう、596~658年)の作品だろう。ホンマかいなと疑う御仁も多いと思うが、そこは無視してどんどんいくぞ(暑いし)。今回から月例競書のお題がこの褚遂良の楷書・房玄齢碑(ぼうげんれいひ、652年頃)。房玄齢とは唐の皇帝・太宗(たいそう)に尽くした人物で、非常に教養の高かった人らしい。

↓↓↓褚遂良の書は、常に線の中央に筆先がくるように書くことがポイント〔全く書風は違うのに顔真卿(がんしんけい)と同じだ〕。さらに、たとえ細い線であっても、力を抜かず、しっかり紙を捉えなくてはいけない。T先生曰く「細くても力のある字もあれば、太くても力のない字もある」。う~~む、哲学的だなあ。


褚遂良の字で少し涼しくなったところで、お次は顔真卿の行書の傑作「争坐位文稿(そうざいぶんこう)」。特別昇段級試験の行書のお題だ。これは朝廷の席次(坐位)を巡る争いの中で、慣習を変えたことに抗議する文書の草稿というから穏やかでない。顔真卿は今でいう抵抗勢力だったのかも。

↓↓↓半切の長~い紙に書いた一部だが、先生が朱で指摘しているように、「興」という字の中央が上の字と比べて右よりになってしまった。さらに全体的に字が大きすぎるので、もっとコンパクトにすること、中でも「再」を小さくすると見栄えがいい…。なるほど。


↓↓↓最後は紀元前の文字「木簡(もっかん)」。こういう字を書いていると楽しく、大らかな気分になってくる。注意しなくてはいけないのは、矢印の×の部分。始筆が丸くなってしまった。先生の朱のように、始筆は右45度くらいの角度で入るようにしなくてはいけない。筆を少し手前に傾け、横線を描くときは筆先が線の上に来るようにするんだそうな。いろんな種類の文字を書いていると、ちょっと混乱しそうだが、いつかは自然に書き分けられるようになるのかしら。

8/13/2007

◆叔母の水墨画が国立新美術館に!

広島に住む叔母は、通信教育で20年(!)も水墨画を習っているが、その通信教育の団体が主催する全国公募展でみごと佳作に入り、今、国立新美術館に展示されているんだそうな。先週、国立新美術館に毎日書道展を見に行ってきた後にその話を聞いてびっくり。そんなわけで、今週再び、美術館まで足を運ぶことと相成った。私の作品も早くこの美術館に展示されるよう頑張ろうっと。


↓↓↓その作品がこちら。「清流」というタイトルの臨画。書道の「臨書」のように、水墨画にも手本を真似て学習する「臨画」というものがあることを初めて知った。「清流」を題材に描いている人はたくさんいて、ずらりと同じタイトルの絵が並んでいたが、そのなかでも叔母の作品が一番光ってたぞ!

8/05/2007

◆初めて毎日書道展に行ってみた

国立新美術館で開催されている毎日書道展に行ってきた。教室の人たちが結構入選しているし、かな混じり書を初めて提唱した金子鷗亭の生誕100年記念の展覧会もやっているというので、意を決して(?)青山教室の帰りに行くことにしたのだ。金子鷗亭の展覧会は、すでに本などで知っている作品が多かったせいか、思ったほどのインパクトはなく、全く期待していなかった毎日書道展の前衛的な入賞作品群の方に圧倒された。その時代は斬新だった金子鷗亭の書も、今では古典(?)。絵画と同じで、やはり現代の前衛的作品の方が面白い。これは毎年チェックした方がいいかも、と思った次第。



↓↓↓以下は青山教室で書いた顔真卿の楷書。O先生がこのときに教えてくれた顔真卿の書の特徴は次のとおりだ。①文字はやや縦長の向勢(こうせい)。向勢とは、太鼓のように丸く湾曲した縦線を言う。②横線は細め、縦線は太めという特徴がはっきりしている。③縦線は途中(真ん中)を太くするような意識を持って書く。④筆を持つときは直筆で(倒さずにまっすぐ立てて持つ)。そうすると線の真ん中に筆先がくる書き方になるそうな。⑤決して急いで書かない。顔真卿は行書であっても、ダラダラと、粘っこく書くことが重要。⑥顔真卿には少し濃い目の墨が合う。ということだが、さあ、言われたとおりに書けているだろうか。


↓↓↓次は創玄の特別昇段級試験の課題になっている楷書の古典「高貞碑(こうていひ、523年)」。先生の朱のように、始筆の先を尖らせ、いかにもノミで石を削った碑文の雰囲気を出さなくてはいけない。なるほど・・・。先は長いぞ。

7/22/2007

◆書道三昧の1日

昨日は朝10時から午後6時まで、1日中、書道の勉強会だった。創玄展に応募する人たちが全国から集まって、先生が書いてくれたお手本を見ながら、あるいは受賞経験のある人はお手本なしで、がっつり書に集中した。

今回、私が選んだお手本は、行書の名品「温泉銘」。オリジナルは唐の時代の太宗皇帝が書いたとされる碑の拓本だ。太宗皇帝は、自分が毎年湯治に行っていた温泉を賛美して碑を建立した。だが、碑は残っておらず、その拓本のみが1908年に、フランス人によって発見され、現在もフランスの国立図書館に保管されているという。

↓↓↓昨日は何人かの先生から、いくつか行書ならではの書き方のアドバイスをもらった。曰く、始筆、終筆、曲がるときに力を入れすぎないこと(その部分をぼってりさせない)。墨はたっぷり根元まで筆に含ませるが、書くときに先端から墨がポタポタ落ちないよう紙に吸わせて調整する。墨のかすれたところから墨を入れたところの差が大きすぎると不自然になる。全体を見ると、上方の文字の方が墨が少なく、下方の墨が多い。上方は墨をもっと乗せた方がいい(かすれ過ぎている)。なるほどねえ~。これは一応、アドバイスを守ったつもりの作品だが、はて、どんなもんでっしゃろ?

6/17/2007

◆顔真卿、がんがん書きます

昨日の青山教室には、博光会40周年記念展が無事終わってホッとした表情のI先生も登場。展覧会には1日1000人もの来場者があり(土曜日は1500人!)、全部で6000人が来場するという大盛況だったとか。T先生をはじめ、この展覧会の実行委員は相当大変だったようなので、成功裏に終わり、ホント、よかった、よかった。

↓↓↓いつもの顔真卿の楷書。I先生によれば、顔真卿に限らずどの書であっても、筆の穂先の上下運動、つまり穂のバネを使って書くことが重要なのだという。軽く書いているときは穂先の形が「J」で、始筆や終筆、跳ねるとき、曲がり角などは力を入れるため、穂先はぐっと下に抑えられ「S」の形になる。その上下運動(バネ)を意識するようにしなくてはいけないのだとか。なるほどなあ。
これはI先生に「うん、よくできてる」と、最後に朱で「佳」という字を入れてもらった自信作。

↓↓↓こちらは祓いの方向が上になりすぎた。I先生の朱のように下方に向かないといけない。

↓↓↓こちらは赤坂教室で書いた木簡(もっかん)。木簡は書いていて楽しいため、つい早書きになるのが私の悪い癖。特に祓うところは、いつもT先生に「ゆっくりね」と注意されるのだ。また、漢字には横線が何本もあるが、早く書いたり遅く書いたりすると、様々な線の表情が出てくる(私のは全部同じ?)。

↓↓↓最後に月例競書に提出する顔真卿の行書。いやあ、今回は盛りだくさんでした。

6/10/2007

◆40周年記念・博光会書展

所属している博光会の展覧会に行ってきた。会員なら誰でも1つ出品できるということだったので、いつものことながら自分の実力も省みず、ちゃっかり私も出品してしまった。銀座の画廊で飾られるというのは、やっぱりちょっとうれしい。思ったとおり、他の会員の作品は私よりも大分レベルが高かったけど、でも人のことは気にせず、これからもマイペース、ハイテンションで頑張るぞぉ~~!

↓↓↓これが私の初の創作作品。実際は、先生に手本を書いてもらったりしたけど、ま、一応創作作品なのだ。額は借り物なので、手元に戻ってきたら自分の好みの額縁を買ってきて飾ろうっと。

6/03/2007

◆ゴチャゴチャです

今日の書道教室では、いつものように青山では顔真卿(がんしんけい、709~785年)の「告身帖」、赤坂では「賀蘭汗造像記」(がらんかんぞうぞうき、502年)という趣きの異なる2つの古典を臨書した。どちらもメチャクチャ個性の強い作品なのだが、その方向性は全く逆なので、書いていて楽しい。とはいえ、最初に書いた顔真卿の「刎ね」の特徴(ツバメの尾っぽのような形)が、つい賀蘭汗造像記を書いていても出てしまい、自分でちょっと笑っちゃいました。

↓↓↓矢印の部分、顔真卿の書は下がらずにぐっと上向くというのが特徴なのだとか。他はイイ線いっているとT先生は言うけれど、周りを見ると、なんでこんなにうまいの?という人がわんさといて、本当かなあ、と思ってしまう。



↓↓↓T先生が書いた朱色の「刎ね」が賀蘭汗造像記の正しい「刎ね」の形。私のはちょっと顔真卿がかってしまい、書きながら気づいてあわてて修正したけど、そのなごりがある。先生は笑いながらその部分にちょいと朱を入れて、「ここ、ちょっと筆が浮いているね」だと。お見通しでゴンス。

5/13/2007

◆行書と言えど、早く書けばいいわけでなく・・・

GWでリフレッシュしたところで気分一新。新たな気持ちで顔真卿(がんしんけい)の行書に挑戦だ。

↓↓↓T先生からは、「うん、なかなかいい線が書けてるよ」、とお褒めの言葉をいただいたが、でもやっぱり細かいところは駄目なんだなあ。「陥」という字のうち、「日」の横線を書くときは、一呼吸だけ筆をとめ、筆の先端がねじれる感じにしながら書く。先生が朱で書いてくれた「先」というのは筆の先のこと。つまりその部分は筆の先が下になるということだ。う~~~む、難しい・・・。さらに、行書だからとつい早く書いてしまうのが私の悪い癖。刎ねるときでも早く書き過ぎないようにしなくてはいけない。気分がのると、つい早くなっちゃうんだよね。



↓↓↓まあ、この辺でよしとするか。でも最後の文字がちょっと曲がってるよなあ・・・。

5/05/2007

◆初の沖縄

今年のGWは、かねてからの懸案だった(?)沖縄へ2泊3日で行ってきた。書道とは何の関係もないが、たまにはビーチでのんびりもいいもんだ。


これは石油のポリタンクのような「浮き」で作られた桟橋。ガラス張りの船底から海中を見ることができるグラスボードの乗船場が、この先っぽにある。その手のお気楽遊びは大好きなので、早速乗船することに。し・しかし・・・。この桟橋は浮きで出来てるから揺れるんだよね。小っちゃな子供も、日傘を差したロングスカートの女性も、まるで公園の散歩道であるかのごとくスタスタ歩いていたが、きゃつらは何者だ? 私ですか? 桟橋に一歩足を踏み入れたとたん、ゆらゆら揺れる足場の悪さに腰がひけ、「ア~~ッ!」と叫びながら海に落ちていく自分の姿が脳裏をかすめ・・・。さて、私は無事グラスボードまで辿り着くことができたのであろうか? 神のみぞ知る・・・(あ、それから一緒に行った友達もね)。 



グラスボードで冒険した次の日はビーチでダ~ラダラ。












そして、昼間に何があろうとなかろうと、沖縄の夜は静かに更けるのであった。