9/25/2006

◆3回目の月例競書

月例競書への出品も3回目となった(つまり3カ月目)。今回も顔真卿(がんしんけい)の行書に挑戦だ。赤坂教室のレッスン中に、出品用の作品を一気に仕上げてしまおうという魂胆である。とはいえ、行書には今回も苦戦。どういう線の運びになっているのかさえわからない。先生にお手本を書いてもらって初めて、「あ、ここはそうなってるんだ」とわかる始末。こんなんで、うまく書けるのかいな。

↓↓↓これは字の下の位置が問題。赤の矢印の部分、左右の字の下を揃えるように、とのご指摘だ。ふむ、ふむ。なるほどねえ。


↓↓↓とはいえ、もう時間がないので、書いたものの中から先生に選んでもらい、これを出品作にすることにした。因みに、最初の文字は誰も読めないと思うが、「ちぢム」という字。この行書、線の運び方も手ごわいが、読みも相当手ごわいのである。

9/17/2006

◆岡本太郎記念館に行ってきた

書道教室の後、ちょっと時間があったので、表参道にある岡本太郎記念館に行ってきた。岡本太郎といえば、あのギョロ目の強烈なキャラクターと「太陽の塔」が頭に浮かぶ程度だが、それだけではないだろうと、何となく頭の隅っこで気になっていたアーチストだったのだ。行ってみると、やはり只者ではなかった。そこには岡本太郎の最高傑作といわれる大壁画「明日の神話」の修復後の写真や、制作時の下絵が展示されていたが、その迫力に、まさに「なんだ、これは!」。「明日の神話」は原爆が炸裂する瞬間を描いたものだ。しかし決してこの世の終わりという暗さはなく、原爆を全身で受けてはじけ飛ぶ中央の白い骸骨や、地を這うような鮮烈な赤い炎は、深い怒りと同時に再生のための新たなエネルギーをも発散させていた。これは日本にとって、スペインにとってのゲルニカのようなものだと言ったら言い過ぎか。

ぜひ実物を見てみたいと思ったが、遅かった。日本テレビの汐留・ゼロスタ広場で実物が一般公開されていたが、8月末までだった。この壁画は、40年前、メキシコのとある実業家から、新しく建てるホテルのロビー壁画として依頼されたものだという。壁画は完成し、ロビーに仮設されたものの、建物の完成を待たずにホテル自体が倒産してしまった。以来、壁画は行方不明になっていた。それが2003年、メキシコシティー郊外の資材置き場で発見され、日本に移送され、修復作業が行われたというわけである。

この記念館では写真も自由に撮ってよかったのだが、その日はカメラどころか携帯も家に置き忘れるという体たらく(カメラがない分、自前の目でじっくり鑑賞させていただきました)。
↓↓↓もらってきたパンフレットはこちら。その一端を感じ取っていただけますかどうか。

◆軽~~く書く

今回も青山教室では大作にチャレンジと相成った。1枚に18文字も書かなくてはいけないから大変だ。1枚を仕上げるのに、少なくとも20分はかかったと思う。しかも教室では自分で書くだけでなく、先生の話を聞いたり、先生が書くところを見学したり、書いたものを見てもらったり、「そっかあ・・・」と思索にふけったり、いろいろすることがあるので忙しい。そんなこんなで、結局、2枚しか仕上げることができなかった。
1枚目を書いているとき、見て回っていたO先生から、「そんなに一生懸命、頑張って書かない方がいいよ。黄庭経(こうていきょう)は軽く書くのがポイントだからね」と指摘された。なるほど。以前も紹介したが、今回のお手本の黄庭経は、書聖と謳われる王義之(おうぎし、307?~365?年)が書いた老子の不老長寿の養生訓。力が入っちゃいかんのですな。

↓↓↓そんなわけで、2枚目は一生懸命(?)、軽~~く書いた。これでどうだ!、とO先生のところに持っていくと、「ああ、いいね」と言われ、一安心。でも、矢印の部分、私のは曲がるところの線が太くなっているが、本当は細くなるのが正解。「オーバーに書くとこんな感じ」と先生が書いてくれた朱文字を見るとわかりやすい。ホント、曲がるときは宙に浮くほど軽くなってるよね。

9/07/2006

◆大作(?)を書く

先週の青山教室は、久々に半切(はんせつ)に書くレッスンだった。半切とは紙の大きさのことで、掛け軸の大きさといえば分かりやすいだろうか。教室では、いつも半切の3分の1の大きさに書いていたのだが、今回はその3倍の大きさなので、全体にバランスよく書くのが大変だ。大御所のI先生も来られ、半切に書く時の注意点を話してくれた。まず、お手本を見て、左右の行を見比べるのだとか。そう言われてよく見ると、今回のお手本は右の行に画数の多い文字が集まり、左の行は画数の少ない文字が多い。そんな時は、左側が右側と比べて貧弱に見えないよう、文字を少し太めに書き、左右のバランスをとるといいのだとか。さらに、文字の中心線は縦にぴたりと揃え、文字と文字の間のアキは同じにする。なあるほど・・・、注意することだらけだ。

↓↓↓I先生の教えにならい、左の行の文字を太く書いたら、文字自体が大きくなり過ぎた。画数の小さい文字は、太めであってもコンパクトに書かないとバランスが悪くなってしまう。T先生が朱で書いてくれた「心」や「太」の大きさくらいだと、確かにバランスがいい。やはり大作は難しい。でも、I先生から、「線はしっかりしている。うん、なかなかいいよ」と褒められたので、ちょっとうれしい。

9/03/2006

◆晴れて七級

生まれて初めて書道の級をとった(そんなオーバーなものでもないが)。一番下の七級だったが、『書作』という雑誌の9月号に、ちゃんと私の名前も入っていた。「段」や「級」には全く関心がなかったが、こうやって雑誌に名前が出ると、根が単純なせいか、「よっしゃ!」という気になってくる。

真面目に段級をとっている教室の人たちは、現在、飛び級(?)で上に行くことのできる「特別昇段級試験」に応募するため、課題の書を先生に見てもらったりして、ホント大変そう。この試験は年に1回行われていて、今年はその応募締め切りが9月25日なのだ。T先生に、来年は出すように、と言われてしまった。あまり気は進まなかったが、「応募すれば、今でも1級はとれるよ」とおだてられ、がぜんヤル気になっている(そのヤル気が来年まで持つかどうかわからんが)。

さて、次の『書作』への応募作品はこちら。
↓↓↓前と同様、甥っこを戦で亡くした顔真卿(がんしんけい)の書(758年)の臨書だ。千年以上も前の文字のため、これ嘘字なんじゃないか? と思われる向きもあろうが、嘘字じゃござんせん。