9/23/2011

◆アートな書を意外なところで発見!

今日はお彼岸。久々にお墓参りに行ってきた。お参りを終え、いつものように広間でお茶をいただいていたら、壁にすごく魅力的な書が飾られていた。書かれていたのは「南無阿弥陀仏」。お寺にぴったり、ではあるが、普通の書ではない。何とも味のある字なのだ。今日はそれをちょっとご紹介。
聞いてみると、書道家ではなく著名な画家が書いたものなんだそうだ。すでに亡くなられているが、生前、「南無阿弥陀仏」という言葉をとても好み、よく書いていたのだとか。許可を得て携帯のカメラで撮らせていただいた。ちょっと場所が暗かったため、白い紙が青く写ってしまい、残念な写真ではあるが、珍しい画家のアートな書をどうぞ。

9/19/2011

◆木簡、そして造像記

残暑が続き、蒸し蒸し度がなかなかおさまらない昨今、体調管理が大変だが、書道教室の皆さんは老いも若きも中堅も、いつものように元気なのだった。大したもんだ。

てなわけで、まずは4月からの期が今回で終了となった青山書道教室のお題からいってみよう。
いつもの木簡の臨書は、半切に5文字(寒吏敢言之)を1行に書くというもの。文字数が少なかったので、時間内に4枚書けたが、結構疲れたなあ~。

↓↓↓Aは長過ぎた。Bの幅は最初の横画とほとんど同じなので、ここは少し短くしたほうがよかった。CのハネはGoodだそうだ。やったね。

↓↓↓Aの「臨」が「言」の飛び出た横画とケンカしている。名前を書くときの位置は要注意なのだ(適当に書いていた!)。空いているところにうまく収まるようにしなくてはいけなかった。反省・・・。

↓↓↓Aのハネはよくない例。最後のハネで墨がスポッと抜けて白くなり、最後にポコッと墨が付いているだけというのはNGなんだそうだ。

お次は赤坂書道教室の自主課題だ。前々から気になっていた中国・北魏(ほくぎ)時代の楷書「鄭長猷造像記(ていちょうゆうぞうぞうき)」(501年)、これを最初から少しずつ書いていこうかな、と今は思っている。すごく個性的な字なので、オリジナルを見ながら書いていると何だか笑えてきちゃうんだよね。

↓↓↓以下の2枚はどちらも文字の位置取りが悪かった。分かってはいるのだが、なかなかいい位置に収まらない。書き終えてからこうすればよかったと思うのだが、いつも「時既に遅し」なのだ。情けない・・・。

9/17/2011

◆お待たせしました! 久々の更新!

暑さボケしてしまい、すっかり更新をさぼっていたら、もう9月も半ばとなってしまった。季節は間もなく秋。意味もなく、あせるなあ。

そんなわけで、大変お待たせしました(待ってなかった人も多そうだけど)。久々の更新は、9月最初の赤坂教室のお題・詩文書だ。自分の好きな詩文を好きな大きさの紙に書くというお題だったので、長い詩を半切に書いてみたのだが・・・。

題材に選んだのは、8月11日の朝日新聞の夕刊に出ていた阿久悠の詩。あの陸前高田市の高田高校が、23年前、初めて夏の甲子園に出場し、その初戦の8回裏、雨によるコールドゲームで敗れたときのことが書かれている。スコアは9対3。試合の翌日、阿久悠はこのときの彼らの無念を詩にし、スポーツニッポン新聞に寄せた。その一部が甲子園出場記念の石碑となり、高田高校の校庭に立てられた。校舎はあの大津波でひしゃげてしまったが、石碑は少し傷ついた姿で今も立っているという。高田高校は、その後、まだ一度も甲子園の土を踏んでいない。

ちょっと長いが石碑に書かれている全文はこちら。泣ける詩なんだよね。
「初陣高田高の 夢にまで見た甲子園は ユニホームを重くする雨と 足にからみつく泥と 白く煙るスコアボードと そして あと1回を残した無念と 挫けなかった心の自負と でも やっぱり 甲子園はそこにあったという思いと 多くのものをしみこませて終わった 高田高の諸君 きみたちは 甲子園に1イニングの貸しがある そして 青空と太陽の貸しもある」 

↓↓↓これは書き出しの部分。墨が滲んでいるところとそうでないところの差が大き過ぎた。墨をたっぷりつけた次の文字はその余韻が残るはずなのに、突然墨量が減るのは違和感がある、と。そう言われてみれば、確かに・・・。

↓↓↓こちらは詩の最後の部分。小書き(A)は下を揃えずに少し上に持っていったほうがバランスがよかった。また、最初と最後の余白は、もっとたっぷりとるほうがいいそうだ。いつかまたリベンジしなきゃなあ。