6/21/2010

◆淡墨をたっぷり

最近、「ちょっといいかも」と思ってきた詩文書(漢字かな混じり書)の1日研究会に行ってきた。自分の好きな文字を半切に書くのだが、教室では習ったことのない淡墨を教えてくれるという滅多にない機会だった。淡墨は普通の濃墨の書と違い、書いたら、まず乾かして墨の濃さをチェックしないと、丁度いい濃さかどうか分からない。書いてすぐは濡れているため結構濃く見えるからだ。つい、こんなもんでいいかな、と思って書いていると、意外にも薄すぎたり・・・。

↓↓↓これは開高健の言葉で「悠々として急げ」。墨が薄すぎた実例だ。墨の量も少な過ぎて、滲みの面白さがあまり出なかった。残念! いつかリベンジしなくっちゃ。

6/13/2010

◆最後の「臨張遷碑」

赤坂書道教室のお題、何紹基(かしょうき)の不思議な作品「臨張遷碑(りんちょうせんひ)」は、今回でいよいよ最後となる。さて、集大成となりましたかどうか。

↓↓↓見事丸を4ついただき! と思ったら、名前の部分が右肩上がりになり過ぎだった。名前は行書で書いていいのだが、作品とのバランスを考えて、ここは右肩上がりにしない方がいいとのこと。そうだったのか、知らなかった・・・。


↓↓↓これは雑誌『書統』の漢字の規定課題・石鼓文(せっこぶん)。石鼓文は、石に刻まれた文字としては中国で現存する最古のもので、時代はおそらく紀元前200年(秦時代)くらいではないかとされている(所蔵:北京故宮博物院)。木簡(もっかん)よりちょっと昔の文字だけあって、象形文字の雰囲気があるよね。さて本題。T先生に朱で指摘されたように、全体にもっと面長にしなくてはいけなかった。石鼓文は面長なのだ! 筆は羊毛で書いたのだが、これは兼毛の方がよかった。


↓↓↓『書統』の随意課題・漢字の半切。まずは全体像。全体的に墨量が足りない。特に1字目が足りない。行書はボタッとしてはいけないと思って、墨を少な目にしたのが失敗だった。3字目の「而」はカスレ過ぎ。字間を上に詰めて最後の「志」はもっと大きく、普通の大きさに書く(最後に余白がなくて小さくなってしまったのがバレバレ)。


↓↓↓部分的に見ると、Aは先生の朱のように「点」を下げずに、上に並べて4つ書くくらいの方が、足長に見えて格好いい。確かに・・・。

6/06/2010

◆顔真卿をたっぷり

今回の青山書道教室は、予定通り、顔真卿(がんしんけい)の行書・祭姪文稿(さいてつぶんこう)の雰囲気を出しながら、王褒(おうほう)の漢詩を半切に書くというお題。決まった時間内で大きい紙に書き上げるのは大変だが、こういう場があるというのは、普段あまり家で書けない者にとってはありがたい。

お題の漢詩は、王褒の五言古詩・渡河北(河北に渡る)の中の一節「常山臨代郡(常山、代郡に臨み)」という5文字。黄河を渡る雄大な情景のなかで、故国に思いを馳せる王褒の辛い感情がほとばしっている詩だ。片や顔真卿の祭姪文稿は、戦死した甥を悼む哀しみに満ちた弔辞文。漢詩と書風のイメージが重なってくるよね。

↓↓↓これは最初に書いた1枚の真ん中辺りのクローズアップ。A(転折)の部分、始筆からそのままの勢いで一気に書いてしまったが、筆を止めてバネを効かせ、同じ調子にならないように書かなくてはいけなかった。


↓↓↓全体的に見ると、上半分はホワイトスペースがたっぷりなのに、下半分は詰まっている。バランスが悪かった。残念! 1枚書いたら全体のバランスを見て、悪いところは修正して次を書くべきだった。


↓↓↓こちらは赤坂書道教室のお題。Aの部分、縦画が短か過ぎた。オリジナルの観察が足りなかった。


↓↓↓これ、何と書いているかというと「坐井観天」。意味は・・・??? 雑誌『書道日本』5月号の表紙にあった大御所I先生の書を手本にしたものだ。Aの部分は線が重ならないように書いた方が明るくなるとのこと。確かにその方が品があるよね。それにしても、こんな創作を早く自分で出来るようになりたいなあ。


最後に、今年の創玄展に出した作品の写真をいただいたので、仲間のR子さん、M子さんのものも合わせて一挙に公開しよう(R子さんやM子さんの作品と比べると・・・。ま、いっか)。

↓↓↓まずは準二科賞をいただいた私の木簡(もっかん・約2000年前の文字)。空間が少なすぎたなあ。


↓↓↓二科賞のM子さんの木簡。空間がきれい。


↓↓↓同じく二科賞のM子さんの伸びやかな近代詩。


↓↓↓最後は一科・秀逸のR子さんの作品。すごい迫力だ。