7/31/2006

◆行書に挑戦

扇子の依頼主からようやく電話がかかってきた。どうしたのかと思ったら、なんと携帯が新幹線のトイレに水没してしまい、すべてのデータが消えて誰にも連絡できなかったのだとか。しかも仕事が超忙しく、代わりの携帯を買いに行く暇もなかったのだという。ようやくお店に行ってデータを取り出すことができたけど、水没した携帯は、あわれお亡くなりになったそうな。携帯にしてみれば、新幹線のトイレで憤死という不名誉なことで、かける言葉もない。一同合掌。

では、気を取り直して、土曜日の書道教室の復習だ。
↓↓↓これは唐時代の書家、顔真卿(がんしんけい)の行書『祭姪文稿(さいてつぶんこう)』の一部を臨書したもの。祭姪文稿は、顔真卿が戦死した甥を悼んで書いた弔辞文の草稿だ。この戦には殉死した甥の父親も、顔真卿も出兵していた。しかも甥は親の目の前で首を刎ねられるという壮絶な死に様であった。それだけに、書きなぐられた一文字、一文字から顔真卿の怒り、悲しみの心情が迫りくる。
さて、私の書の方はというと、その心情に思いを至すどころではなく、何とか半紙に7文字を収めようと、それだけで精一杯でござった。

7/22/2006

◆扇子が出来上がった、が・・・

古代文字を扇面に書いたオリジナルの扇子が、先週ようやく出来上がった。仕立てるのに1カ月以上もかかり夏に間に合うのかと心配していたが、なんとか間に合いほっとした。と安心したのも束の間、今度はこの扇子の依頼主と全く連絡が取れないのだ。おーい、どこに消えたんだーー?! ほかの人にあげちゃうぞお。

7/02/2006

◆書道教室でレッスン----今日は本物の臨書

今、青山教室で我々がお手本にしているのは、「古典渉猟―石飛博光臨書集 第8集」で、ここには石飛先生の臨書(オリジナルの模写ならぬ模筆?)作品とともにそのオリジナルが掲載されている。我々の教室では、普段は臨書作品の方をお手本にしているのだが(オリジナルも見るように言われはするが)、昨日はオリジナルだけを見て書くという、本物の臨書のレッスンだった。オリジナルは、むか~~し、むか~しものだから文字が欠けているところもあったりして、なかなか味わい深い。解読が難しい字を探求するのも結構面白かった。今まで慣れ親しんできたお手本を見ずに書くというのは、自転車に乗る練習をしているときに突然後ろで抑えてもらっていた手を離されたような感じとでも申しますか。一人立ちする時は不安もあるけど、新しい発見もいろいろあって、楽しいよね。

↓↓↓「完」という字の跳ねの角度に注目。私のはちょっと左に傾いているが、ここは真上に跳ね上げるのが正解。う~む、よく見ると、確かにオリジナルはそうなっている。



↓↓↓左の点線部分。「ヘン」の右側、つまり「ツクリ」とぶつかるところは点線のところで揃えるように書く。特に私のは「口」が右に出っ張りすぎてしまった。「ツクリ」は赤丸の5箇所の空間がほぼ同じにならなくてはいけない。いやあ、よく見て書いたつもりだったが、見るべきところを見ていないことが、よく分かったレッスンでござった。