10/09/2006

◆今回から「かな混じり書」

青山教室のレッスンは、今回から半年間は中国の漢字の古典を離れ、「かな混じり書」となった。お手本は、『石飛博光「書」の絵本・花のような気持ちでいよう』。これまでのレッスンと違って、ちょっと軽量級じゃない? というのが最初の印象だったが・・・。やってみるといや面白い。今回は老子の言葉「多則惑(たそくわく)」という漢字を中心に置き、その意訳文「知りすぎたって迷うだけ」という言葉をかな混じり書で加えた作品。漢字は紀元前から紀元後(秦時代から前漢時代)の中国で発達した隷書(れいしょ)という書体で書かれており、大らかで楽しい作品になっている。よく言われることだが、創作の基本はやはり古典なのだ。

↓↓↓隷書の文字は、横の線を右肩上がりにせず、水平に、真横に書くというのが特徴だ。書いてみると、最初のうちはどうしても右肩上がりになってしまうが、慣れてくると真横に書けるようになり、造形的にも味わいが出てくる。そこでI先生に見てもらうと、この字は面白いね、と「多」という字に二重丸をくれた。「則」はちょっと単調だから、横線を書くときのスピードに緩急をつけたらいいよ、というアドバイス。


↓↓↓そこで書いたのがこちら。I先生のところにもう一度持っていくと、じっと見てから「うん、いいね」と言い、近くにいた若いT先生に「ちょっと鉛筆ちょうだい」。「はて???」と思っていると、朱を入れずに左下に小さく、鉛筆で「A」と書いてくれた(写真では分かりませんが、ちゃんと入っています)。意味がいまひとつ分からず、狐につままれたまま席に戻ると、周りの人が手を叩きながら「すごい!」と言う。へえ、そうなんだ、と急にうれしくなってしまった。初の「A」作品、じっくりご覧あれ。

9/25/2006

◆3回目の月例競書

月例競書への出品も3回目となった(つまり3カ月目)。今回も顔真卿(がんしんけい)の行書に挑戦だ。赤坂教室のレッスン中に、出品用の作品を一気に仕上げてしまおうという魂胆である。とはいえ、行書には今回も苦戦。どういう線の運びになっているのかさえわからない。先生にお手本を書いてもらって初めて、「あ、ここはそうなってるんだ」とわかる始末。こんなんで、うまく書けるのかいな。

↓↓↓これは字の下の位置が問題。赤の矢印の部分、左右の字の下を揃えるように、とのご指摘だ。ふむ、ふむ。なるほどねえ。


↓↓↓とはいえ、もう時間がないので、書いたものの中から先生に選んでもらい、これを出品作にすることにした。因みに、最初の文字は誰も読めないと思うが、「ちぢム」という字。この行書、線の運び方も手ごわいが、読みも相当手ごわいのである。

9/17/2006

◆岡本太郎記念館に行ってきた

書道教室の後、ちょっと時間があったので、表参道にある岡本太郎記念館に行ってきた。岡本太郎といえば、あのギョロ目の強烈なキャラクターと「太陽の塔」が頭に浮かぶ程度だが、それだけではないだろうと、何となく頭の隅っこで気になっていたアーチストだったのだ。行ってみると、やはり只者ではなかった。そこには岡本太郎の最高傑作といわれる大壁画「明日の神話」の修復後の写真や、制作時の下絵が展示されていたが、その迫力に、まさに「なんだ、これは!」。「明日の神話」は原爆が炸裂する瞬間を描いたものだ。しかし決してこの世の終わりという暗さはなく、原爆を全身で受けてはじけ飛ぶ中央の白い骸骨や、地を這うような鮮烈な赤い炎は、深い怒りと同時に再生のための新たなエネルギーをも発散させていた。これは日本にとって、スペインにとってのゲルニカのようなものだと言ったら言い過ぎか。

ぜひ実物を見てみたいと思ったが、遅かった。日本テレビの汐留・ゼロスタ広場で実物が一般公開されていたが、8月末までだった。この壁画は、40年前、メキシコのとある実業家から、新しく建てるホテルのロビー壁画として依頼されたものだという。壁画は完成し、ロビーに仮設されたものの、建物の完成を待たずにホテル自体が倒産してしまった。以来、壁画は行方不明になっていた。それが2003年、メキシコシティー郊外の資材置き場で発見され、日本に移送され、修復作業が行われたというわけである。

この記念館では写真も自由に撮ってよかったのだが、その日はカメラどころか携帯も家に置き忘れるという体たらく(カメラがない分、自前の目でじっくり鑑賞させていただきました)。
↓↓↓もらってきたパンフレットはこちら。その一端を感じ取っていただけますかどうか。